2017年10月07日

パパイヤのおやつとSIMロック解除


今まで使っていた愛用のSHV33がおかしくなり始めたのは

先月半ばのこと。

まずWifiが一切機能しなくなりました。

そして突然電源が落ちる。

端末が突然熱を持つ。

バッテリーの減りが異様に速い。

去年の3月に買ったばかりなのになあ・・と思うも

わたしはau端末使いながらau回線使ってないし

(格安mineo星人なのだ)

修理代でン万円取られるとのauショップからの回答。

だったらmineoのプロパー端末を買って機種変かな、と思い

渋谷のmineo旗艦店に行ったら

ものすごく親身なスタッフさんが

「今我々がAプランで出している端末の中で、

お客様がお使いのシャープさんのものに敵うものはありません。

シャープさんのIGZOは素晴らしいですし

バッテリーの減り具合も他のものより遅いはずです。」

とのこと。

じゃあどうしたら??

「中古の白ロムを買ってご自身でSIM挿してみてください」

えー・・あせあせ(飛び散る汗)

今使ってるのは、もともとau契約時代に使ってた端末を

mineoに新規契約(au端末そのまま使って回線だけ変える)

として持って行ったので、mineo店頭で

mineoのau VoLTE対応SIMに入れ替えてもらったもの。

モバイルネットワーク設定もmineoスタッフさんにやってもらったもの。

それを自分でやれと?!


・・でもそうするよりほかにありません。

だってビンボーだもの。

超貧民層だもの・・。

六本木ヒルズのオフィスに通いながら

毎日原価100円弁当こしらえてるケチケチOLだもの・・(涙)


というわけで、ヤフオクで

ネットワーク利用制限が「○」になっている白ロムを落として

しかも全額Tポイントでの支払い。我ながらケチ。

んでもって、SIMロック解除制限日まで待ちましたとも。

それが昨日。

SIMカードが挿さってないのにSIMロック解除なんて

ヘンな感じですね、とauショップでスタッフさんと喋っている間に

ものの1分でSIMロック解除終了。

あとは自宅で自分でなんとかする!

帰ってきてメルさんのごはんを終えたら

戦闘態勢。

まずはWifiに勝手に繋がっている新しい(といっても中古)

SHV38に感動。うわー、この子、Wifi認識してくれるよ(当たり前だけどね・・

でも1ヶ月近く先代はWifi使えなかったので新鮮さを否めなかったのだ)

では早速SIMカード挿入・・。

ついでにSDカードも。(大事な電話帳エクスポートしてるからね)

そしてWifiを頼りにSIMステータス更新。

(ここがネットでは難関とされていたところ)

わっ、「900」の数字とともに「利用可能」になった!

次はAPN(アクセスポイントネーム)の設定。

APN設定しなくても通話やSMSは使えるけど

やっぱWifi飛んでないところでネットすることが

殆どだもの。しかも繰り越し分やプレゼント分を合わせて

毎月5GBは使えるんだもの。

一度Wifiを切ってから(ここ重要らしい)

auのアクセスポイントしか設定されてない端末に

mineoのAPN情報を追加していきます。

「4G」の文字がアンテナの上に現れたー!

これで設定終了。

自分、おつかれさまでした。

だけど。

auの規程改悪により

12月1日からは、このような「中古端末のSIMロック解除」

ができなくなってしまいますたらーっ(汗)

購入者本人にしか与えられない権利になってしまうとのこと。

どうかどうか、今回わたしのところに来た中古白ロムくんが

長生きしてくれますように・・。と願わざるを得ません。


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ちなみにmineoは今

1年間 月額料金から900円引きという破格なキャンペーン

打ち出しています。

(わたしが契約した春にはこんなのなかったよ(涙))

もしもご興味ある方がいらしたら

紹介コード送るので

フォームメールからでも連絡ください。

紹介した側もされた側も

Amazonギフト券が2000円分もらえます



長生きを願う対象がもうひとり。

(こっちの方がずっと大事だ!)

わたしをいつも見守ってくれているメルさんウサギ

最近は、GONちゃんがこの前くれたパパイヤ酵素のおやつが

ご褒美の品の中では最上級ランクらしく

(そりゃそうだろ。あのボリュームだもんね)

袋を取った瞬間に

サークルの中を軽く10周しますね・・。

嬉しくて嬉しくてもうどうしようボク・・みたいな走り。


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これがそのキラキラ輝くおやつ王。


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焦らすわたし・・てへ。

おしっこおトイレでがんばったねー、できたねー。

かっこいいねー!!

とめちゃくちゃ褒めながら献上。


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こどもがスナック菓子を食べてる以外のなにものでもない光景


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ひとつたべたらもひとつたべたくなる



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でも一日一個。(いや、5日に一個だな・・)

メルさんのウンチが絶好調すぎてわたしは幸せ。

色、形、大きさ。すべて素晴らしい黄金ハンバーグ。

換毛も一年以上まったくないメルさん(飼い主に似てケチ?エコ?)

ニュータイプ次世代うさぎの嚆矢として

長ーく活躍してくれたまえ!










       

ニックネーム らぼすたっふ at 13:47| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月20日

それでも生きる、生きていく



3連休初日、小学校の時のプチ同窓会がありました。

同窓会とは名ばかりの、独りで寂しいわたしがFB経由で召集をかけた

半強制的な34年ぶりの再会を祝した(?)呑み会でした。

幹事となってくれたNくんが東京在住だったこともあり

千葉の寒村(失礼!)からはるばるかけつけてくれた心優しい人も・・。

わたしのためにありがとう。(大いなる勘違いです、はい)


そこで、わたしはタイムラグもありありな、

タイムラグという言葉にすら失礼な事実と直面したのです。

わたしの青春時代、つまり、小学生時代〜高校生時代に

わたしの少年合唱への想いを聴いてくれ、

常に笑顔でわたしを応援してくれていたMちゃんが

とっくのとうにこちらを見守る側の空の住人になっていたことが

Kくんから告げられたとき、

やっとの思いで口をついて出た言葉が「うそでしょ」。

はらはらと頬を伝う涙の感触に気づくまで

かなりの時間がかかりました。

小学校のときも、(中学は別でした) 高校のときも

席が隣同士だったことの多かったMちゃん。

わたしなんかよりずっと賢くてしっかりしていて

前向きで明るかったMちゃん。

どうして。

どうして。

どうして。


Mちゃんの最後の気持ちはわかりません。誰にもわからないと思います。

だけど、無駄に記憶力のいいわたしは

自分を呪うしかありません、今は。

Mちゃんがかけてくれた言葉のひとつひとつ、

Mちゃんがくれた年賀状に描かれていたイラストのひとつひとつ、

小学校の文集に綴られていた文字のひとつひとつが

仕事中でも否応なしにわたしを捕まえにきては放しません。

Mちゃんの歯切れの良い物言いやα波を呼び寄せる朗読に適した声も

わたしの耳元から離れません。

どうして。

どうして。

どうしてなの、Mちゃん。


わたし(たち)のふるさとは海沿いの街です。

チャリでちょこっと行けば太平洋です。

あの海を見てずっと育ってきたわたし(たち)には

あの海を自分が還る場として捉えるDNAが

埋めこまれていたのだろうか。

Mちゃん、そうなの?


Mちゃん、わたしはね、

たとえそういうDNAがプログラミングされていたとしても

もう少し頑張ってみるよ。

だってね、Mちゃんわたしに言ってくれたじゃない。

「えーちゃん(← わたしの本名をもじったほんとのニックネーム)、

合唱と出会えてよかったねえ。

えーちゃんの人生はそこから始まったんだねえ。

わたし応援するよ」

って。

高校2年のときにはわたしに感化されて

アレッド・ジョーンズのCDまで率先して借りてくれたじゃない。


Mちゃん、今、空のどのあたりでわたしの叫びを聴いてますか?

わたしが14年前に(今はクローズしてしまった自分のホームページに)

書いたエッセイもどきを敢えてここにコピーするから

読んでみて。

わたしが「もうちょっと頑張ってみる」原点はここ。

Mちゃんがよく知ってるここにあるんだよ。


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<2003年5月2日>

“20周年記念熱”が冷めぬうちに、と

久々に1983年来日公演ビデオを取り出してきた。

何千回、何万回、と繰り返しデッキにかけられているテープが

かわいそうになるほど、今まで文字通り数え切れぬ回数と

大な時間をこのビデオテープとともに過ごしてきた。

そして今日。

20年という感慨がそうさせたのかわからないが、

涙があとからあとから溢れて身体中の塩分が抜けてしまうというくらいに

わたしははらはらと泣いた。泣いて泣いて泣きつづけた。

記憶の奥底に沈んだ残滓が少しずつお互いを引き寄せ合い、

それがいつのまにか大きな津波となってわたしを揺さぶったのだ。

いつものように「温かい想い出に浸り楽しむ」という甘っちょろいものではなく、

12歳当時のわたしが体験した興奮や緊張のひとつひとつが、

「“一生懸命”を忘れるなかれ」と今のわたしを苛むが如く、

一瞬一瞬の歴史を生きたわたしのココロを背負って

眼前に立ちはだかったのだった。

1983年の5月5日に偶然テレビでキャッチしたウィーン少の公演番組。

わたしが観たのは第2部のオペレッタ(『ウィーンの昔の物語』)の途中、

しかもラストの大団円に近い部分からだった。

やけに美人な外国人の女の子だなぁ、歌もとんでもなく上手い。

どこの団体だろう?これってオペラというやつかしら?・・・

と目を移した新聞の番組表には「ウィーン少年合唱団」。

「なに、少年合唱団って。少年少女じゃん。なに間違えてんの、この新聞。」

なんの罪もない新聞にブツブツ文句をいいながら

観終えた第2部からCMを経て再び番組が開始される。

ウェルナーの「野ばら」に始まった第3部でわたしは

「電流の洗礼」を受けることになる。

このときのわたしの衝撃は、いまだに表現に値する言葉が見つからない。

ピアノを囲んで整列したセーラー服の少年たちが

指揮者に視線を集めながら思い思いの表情でメロディーを放っている。

その歌声は、人間のものとも天上のものともつかぬ

現実感のない美しさをもって何層にも重なり合い、

ひとつの響きをつくっている。

わたしは暫し茫然とした。

身体がわなわなと小刻みに震え、頬が紅潮し、

頭の先からつま先までをかけぬける鋭い電流に当惑しながら、

今何が自分に起きているのかを必死に捉えようとした。

次々と紡ぎ出される彼らの歌声がわたしの耳に届けば届くほど、

鼓動がどんどん速まり全神経がテレビに注がれていった。

「・・・これって“感動”というヤツなのだろうか。」

やっとわたしは自分で自分に問いかけができる余裕を取り戻した。

それにしても、ステージ上を隈なく見ても男の子ばかりではないか。

男の子がこんなに綺麗な声を出すものなのか。

いや、それより何より、男の子が歌を嫌がらずに歌うものなのか。

男の子だけで、こんなにも穢れのない音楽が完成させられるものなのか。

興奮と疑問と混乱とで、こころが弾けそうになりながら聴いた第3部。

曲が進むにつれ、わたしは自分の目と耳が

ひとりの少年を追っていることに気づいた。

「ピアノの隣の人」。その頃はソプラノもアルトもまったくわからないから、

わたしは彼を自然にそう呼んでいた。

そして恐らくその人物は、わたしが初めて聴いた

「ウィーン少の声」の持ち主---オペレッタのミッチー役の人---と

同一人物であるはずだった。

おさげ髪やワンピースが無くなっても、

歌う表情や声は確かに「ミッチー」だった。

その確信を固めながら、どんどん進んで行くプログラムに

ぐいぐい惹き込まれて行くわたし。

アンコールの「美しき青きドナウ」では全体の歌声がやっと

「現実のモノ」であることを認識し、

その「ホンモノ」が「ホンモノであること」への奇蹟を喜び、感謝し、

つい20分ほど前に全身で受けとめた「感動」を

そっと自分の手からこころに降ろし・・・

ここでやっと涙がじんわりと滲み出た。

人生で初めて体感した「感動」という出来事への驚愕と、

自分は大変な出会いをしてしまったという大きな、

確かな予感が涙という形になったのだった。

ウィーン少への興味・関心・憧れ・崇拝に連動して、

わたしはひとつの疑問に捕われてゆくようになった。

「ピアノの隣の人は誰?」

一番表情豊かに歌っていた人、

一番歌声がこころと耳に残っている人、

一番笑顔が素敵だった人。あの人は誰?

20年前はインターネットなんて便利なものはなく、

加えて世間知らずで無知だったわたしは

自分の情熱をどのように結果につなげたらよいのかわからず、

ただその糸口を自分なりに手をこまねきつつ探っていた。

そこで思いついたのが「レコード購入」。

「ウィーン少年合唱団のレコードを買えば、

あのときの歌声がそのまま入っているかもしれない!

メンバーの名前もわかるかもしれない!」

逸る気持ちを抑え、市内で唯一の「楽器&レコード店」へ向かった。

「ウィーン少年合唱団のレコードをください!」

『あの・・・沢山出ていると思いますが、タイトルは何でしょう?』

・・・・・。

ウィーン少年合唱団のレコードって1枚じゃないんだ...。

アホなわたしは、そのときは

「ウィーン少年合唱団のレコードが沢山ある=沢山の歌声や曲をこれから楽しめる」

ことなど微塵にも思わず、

「レコードが沢山ある=“ピアノの隣の人”への手がかりがなくなってしまう」

悲しさで、レジカウンターの前でしょんぼりと凹んでしまった。

それでも(勿論!)注文したレコード。

わたしが初めて買ったウィーン少のレコードは、

「来日記念盤」という帯の付いた

「野ばら・美しく青きドナウ〜ウィーン少年合唱団ベスト・アルバム〜」

と題されたもの(RCL-8001)だった。

今でもそのレコードをときどきプレーヤーに載せるが、

届いたレコードのジャケットに「ピアノの隣の人」が

いなかったショックがいまだにチクリと胸の奥に残っているのが可笑しい。

そのレコードを機に、わたしは狂ったようにウィーン少のレコードを買い集めた。

とはいっても月々の小遣いが2000円の身だから

「狂った」といえども程が知れている。

それでも月1ペースで買うレコードに

初めて針を落とす緊張感・新しい曲の発見・新しい歌声から届く感動は

回を重ねるごとに強いものになり、

小学生としては立派な(?)散財家及び中毒患者だった。

一方の「ピアノの隣の人」探索の進捗はというと、

こちらは難航を極めていた。

名前はおろか、その姿すら自分の記憶以外には情報が無い。

当時、わたしの家にはビデオデッキなんて

高価なものは無かったから(時代はちょうどβとVHSの覇権争いの頃だ)、

日に日にぼやけかすんでゆく彼の笑顔を、眼差しを、そして歌声を、

絶対にこれ以上脳裏から剥がれ落としてはならぬ、

こぼれ落としてはならぬ、と必死だった。

テレビから目にこころに焼き付いた彼の残像を

なんとかして記憶に留めておこうと、

その残像を頼りに似顔絵を描いてみたりもした。

そんなちっぽけな努力に神様も苦笑したのか、

吹く風も冷たくなってきた頃にやっとわたしにも

いささかの知恵なるものが天からもたらされるようになった。

「電話」。

なんとかして関係者に電話をつないでもらい、名前を教えてもらおう。

公衆電話など今まで教科書を忘れたときぐらいにしか

(←親に届けてもらう甘ったれ)使ったことがないが、いざ挑まん!

そう意気込み、わたしは小学校職員室前のピンク電話から

電電公社(現NTT)の番号案内に電話をし、

テレビ朝日の代表番号を聞き、テレビ朝日の事業部というところに

つないでもらった。

「これでピアノの隣の人の名前がわかる!」と喜んだのも束の間、

電話の向こうからは

「ショパンという雑誌を発行してるところに手紙で問い合わせてください」と

返され、教えられた(株)東京音楽社(現「(株)ショパン」)の住所を

必死にメモし、60円切手を同封して初めて

「問い合わせ」なる手紙を投函するに至ったのである。

返事が届いたのは年が新しくなって日も浅い頃。

そのときの興奮も今尚記憶に新しい。

「ピアノの隣の人(オペレッタではミッチー役)は

ルネ・ツェルンチェッツ君といい、

同封の写真の右から○番目の・・・」

丁寧に記された手紙を読む目と手が止まり、

封筒に入っていた1枚の写真にわたしは気づいた。

その写真に目を落としていたのは一体どれくらいの時間だったのだろう。

親兄弟が呼びかけても、身体を揺すっても、

わたしは写真を見続けて放心状態にあったというのだ。

8ヶ月ぶりに見る彼の姿。

自分の記憶だけにすがりついていた彼の姿が

今きっちりとこうして写真にうつし出されている。

彼の笑顔とともに甦る5月5日の感動。

あのときの電流が再び身体中を貫き走る。

「ミッチー」はやっぱり「ピアノの隣の人」だったんだ。

そして彼の名は・・・「ルネ」くん。

ルネくん。

ルネくん。

ルネくん。。。。。

わたしは幾度もその名を反芻した。

8ヶ月分、その名を唱えつづけた。

それからはぐんぐんとわたしの行動力が厚かましいほどに迸り出て、

今の「わたし」に繋がる素地ができあがっていった。

当時の日記に目を通すと我ながら赤面を通り越して

「アホだわ、こいつ」と思えるような文言・内容が炸裂している。

毎日毎日がそれはもうウィーン(少)一色で、

(株)東京音楽社から1983年組のパンフレットを3冊も買い求め、

1冊は温存用、1冊は写真部分を切り抜いた「自分だけの83年組アルバム用」、

そしてもう1冊はこれまた写真を切り抜いて「部屋に飾るフォトフレーム用」

として、83年組にいつも囲まれる幸せを延々と綴った文章には、

嬉々とした自分がハサミを持って今にも「こんちは」と顔を出してきそうな

勢いが熱く煮え滾っている。

およそ洒脱とは云い難いそれらの日記は

どれもこれも小気味悪さすら漂わす羞恥の記録の集積だが、

その中でも特に、ルネくんにファンレターを出すまでの過程は

とてもヒトには見せられないもので、

アウガルテンの住所を知り得た喜びが

3日間にも渡った興奮状態で書かれていることに始まり、

「国際郵便を出す郵便局っていうのはわたしの市にもあるのだろうか」

というマヌケな本気の悩みや

「日本語でも大丈夫かな。

きっと通訳さんが向こうにもいるはずだから大丈夫だよ、うん。」

という超前向き思考が語られ、

そしてきまって毎日の結びの文句は

「今日もウィーン少年合唱団のレコードを聴いています。

ウィーン少年合唱団との出会いは神さまからのプレゼントです。

こんな音楽がこの世にあったなんて!

そしてルネくんから返事が来ますように!」

と、なんともはちゃめちゃなものである。

さてさて、今と変わらず安直で短絡的なわたしであるから、

即刻ウィーンへ行くことを考えたのはごくごく自然なことであった。

情報を得れば得るほどに夢もまた大きく広がった。

「ウィーンで働くにはどうしたらいい?

日本人学校の先生になればいいよ、そうだそうだ!」

と思い立っては文部省(現文科省)に手紙を書いてみたり

(速攻で返事が来たのは驚きであった)、

日本人学校の校長先生に「日本の大学を出てからでは遅いのです。

わたしの情熱が今この最高潮にあるときに、

どうぞ現地でドイツ語を勉強させてもらいながら

ウィーンの学校を卒業後に現地採用教員として雇ってください。」

と失礼極まりない手紙を出したり

(こちらもまた穏やかな窘めのお返事をすぐに頂いた)、

「天使はうたう」という書籍の翻訳者の方に手紙を出したり・・・と、

手紙漬けの毎日であった。当然ルネくんへの手紙はほぼ毎日だったから、

一歩間違えれば(間違えなくとも)ストーカーのわたしであった。

そんなストーカーが過ごした中学時代。

周囲では、やれ何部の誰クンが好きだの、

何組の誰クンがカッコいいだの、

女の子が楽しそうに群れて

きゃっきゃきゃっきゃと普通の「青春」を謳歌している中、

わたしはウィーン少(全体)への想いと

彼らの発する歌声への感動を存分に自己の中で展開しながらも、

相変わらず「連動」するルネくんへの気持ちを手紙にぶつけていた。

しかしそんな中、ルネくんへの手紙が日本語から英語へ、

英語からドイツ語へ、と言語手段が変わり、

また、宛先もアウガルテンからルネくんの自宅に変わり、

そして中身も微妙に変容を帯びるようになってきた。

どうしても時間の経過には逆らえず

「12歳現在の気持ち」が経過時間分を遡った「過去の気持ち」になり、

「12歳の自分」を見る「もうひとりの(今現在の)自分」として

手紙を書くことの辛さが、

不毛な感と停滞状況へのフラストレーションを増幅して行ったのだった。

純真な想いを貫こうとする気持ちと、

このままではずっと足踏みしているだけだという焦燥感との葛藤が続くうちに、

わたしは当時のルネくんを追い越す年齢に達していた。

徐々に手紙の投函の頻度は低下し、

曲がりなりにも心理発達課題をクリアし

人並み(以下)の成長を遂げたわたしは、

1986年組の来日と初めてのウィーン少おっかけを契機に、

ルネくんを「こころの神棚」に上げる決意をした。

わたしの中ではルネくんはいつまでも14歳のままだが、

彼だって生身の人間だ。

生活も人生も着実に進んでいる。

手紙を書きつづけていてもその先に何があるというのだろう。

一時期は本気で「会う」ことを夢見、

それを励みにしていたけれど、

それがわたしに、そしてルネくんにとって何になるというのだろう?

そこにどんな価値があるのだろう?

巷では、当初は1983年組の話題に燃えていた人たち

(←当時は少年合唱愛好サークルが沢山存在し、

そこでなされる(紙面中心の)さまざまな活動が、

情報入手と友人づくりの大切な場となっていました。

冒頭の「1983年組来日公演ビデオ」も、

1984年秋にサークルの会員さんから譲っていただきました。)

は、既に1986年組の話題に尽き、

そしてもう次の1989年組のことで頭がいっぱいだ。

チケットやメンバーの情報交換が日に日に激しい。

皆それぞれ「次」「未来」へ向けてどんどん進んでいるんだ。

わたしもこのへんで腹を括らないと、

ずっと中途半端な気持ちでウィーン少年合唱団と向き合っていくことになる。

そのような考えが、徐々にわたしの頭をかすめるようになった。

そしてわたしはその考えと、12歳の誕生日からの自分の気持ちとを整理し、

遂に果断な決意に至った。

日記の日付を見ると、中学卒業の日のことである。

意味不明箇所・完全に自己陶酔している箇所等々、多々見受けられるが、

20年の歳月を経てもわたしはわたしであることに変わりはないから、

自分の主張がよく解る。

きっとこれは自分だけにしか理解できない寂寥と訣別と新たな誓いに違いない。

「アホだわ、こいつ」と思える自分が

20年前に居てくれたことが何故かありがたくて、

そして、あの頃の一生懸命さや一途さが眩しくて、また涙が滲む。

-----

Mちゃんが影に日向に支えてくれたから

今のわたしがあるんだよ。

人生は合唱だって言い切れる自分がいるんだよ。

ルネくんとだって、このエッセイを書いた年に

ウィーン少本家サイトの掲示板で繋がることができたんだよ。

だけどね、14歳のルネくんとオトナになったルネくんは

やっぱりわたしの中では別人で、

ココロの中でもアタマの中でも統合することができなかった。


Mちゃんとこういう話をしたかったよ。

ちゃんと報告したかったよ。

どうしてお礼を言わせてくれなかったの。

Mちゃん、もう一度会いたかったよ。

今のわたしがわたしであることへの感謝を伝えたかったよ。

高い秋の空がいつもより更に高く感じる。

Mちゃんのせいだよ。

幽霊でもなんでもいいから出てきてよ。

話をさせてよ。

Mちゃん、大好きだったよ。ううん、大好きだよ。











          
ニックネーム らぼすたっふ at 23:13| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

GONちゃんに会ってきたー


今週火曜のこと。

「らすっちょ(仮名)さん、申し訳ないけど

明後日の木曜に

小松菜年金事務所に行ってきてくれます?」

職場の上司からこのクソ忙しい中旬に鬼の指示。

駅から徒歩20分なんて酷暑の中やだよー。

どれどれ、どこにあるのよ、その年金事務所。

わたしが担当するクライアントさんを管轄するところだから

ねずみーらんど近くの東西線沿線かしら?

そう思ってグーグルせんせに訊いたら

表示されたMAPを見てびっくり。

うさ友GONちゃん(@「兎魂」)の職場の(ほぼ)はす向かいじゃないのっ!

さっそくGONちゃんにLINE。

「バスとか出てるのかな。

なんとかして上司にバス使用認めてもらうから」

(↑ 自分で調べろっどんっ(衝撃)


優しい優しいGONちゃん、2つの路線のバス時刻表を送ってくれました。

「うわー、ありがとう!

じゃあ、勤務中だろうからこっそりGONちゃんの職場を通りすがって

星明子するね(←これわかる人は相当昭和な人間)」


ということで

行ってきました小松菜区。

ちゃっちゃと年金事務所での届出を済ませて

いざGONちゃんを星明子しに。


そしたら

「いらっしゃいませー」の声とともに

背後からわたしの肩をがっしり掴むあったかい腕。

GONちゃーん!!

そこには笑顔いっぱいの、でもシゴトなうな感じの

凛々しいGONちゃんが確かに居た!

あー久しぶりだよぅもうやだ〜(悲しい顔)

夏にあったいろいろをLINEで聴いてもらって

そのたびに含蓄ある言葉を何度ももらっていたけれど

実物に会えるのってやっぱりそれらの何倍も嬉しいよ。

GONちゃんったら

メルさんのために


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その日の朝まで干してあった葛の葉を用意しておいてくれたのです。

あとは、タントくんも大好物だという


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パパイヤのおやつ。

もうね、これだけで涙涙なのに


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これとか


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これとか


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これとか(笑)

わたしのためにもこんなに

しかも各々メッセージ付きで

まごころのプレゼント。

ありがとうありがとう。

ほんとはお茶したかったね。

たくさんたくさん話したかったね。

お互い仕事中なのでそんな願いも叶わず

ものの5分ほどでバイバイだったけれど

わたしは出口のところでちょい不審者になり

てきぱきと働くGONちゃんをしばし星明子してから

退散いたしました。

GONちゃん、かっこよかったー。笑顔で素敵だったー。


その日の夜、メルさんに早速一部始終を喋りながら

葛の葉をさっそく献上。


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(ちょっとニヒル...?)


本当に本当に本当にありがとう。

感謝しかありません。

そして、友情ってあったかくてありがたいなっていう

実感しかありません。

ゆっくり会って語らえる日が来ることを祈りつつ

その前にまた小松菜区に出張あったら手を挙げようと

思っているわたしであります。


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ニックネーム らぼすたっふ at 15:11| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする