2016年06月25日

まるくん 晴れたお空へ



さきほど 「ペットエンジェルゲイト横浜青葉」 から戻りました。

メルさんに「まるくんとお別れしてきたよ。ありがとうって言ってきたよ」

とまずは報告。休日出勤していた らす´ にもLINEで報告。


昨夜の天気予報。

「明日は雨と風の強い日になるでしょう。」

当然傘を持って出かけましたが、その傘が開くことはありませんでした。

嘘のように雨が上がったばかりか、

横浜の空は見事に晴れ渡ったのです。

まるくん、あなたはなんてものすごいパワーを持っているの。

自分の旅立ちはとことんこだわって演出しちゃうのね。

お空にいる子たちだけじゃなくて、

お日様とも もうすっかり仲良しなのね。


セレモニーホールに着いて、がじゅ姐とパパちんの顔を見たときに

ぶぉぉーっと涙が溢れてきました。

がじゅ姐に慰められるという赤っ恥。ごめんなさい。

そしてセレモニー室に呼ばれ、

穏やかなお顔をしている まるくん を

この腕に抱かせてもらったときに

またまた涙。

あまりも安らかなお顔と、ちょっとだけ開いたおめめ。

「まだ眠たいのになぁー」と言いながら起き上がってきそうなまるくん。

現実はアタマではわかっているのに、

「どうして体がこんなに冷たいんだろ」

といまだに不思議に思う自分は

もう救いようがありませんね。


まるくんはバスケットの中に運ばれ、

ご家族さまと一緒に、参列者の我々も

まるくんの周りをお花でいっぱいに飾らせていただきました。

このお花は全国からまるくんに届けられたものです。


お花を贈られた方々へ。

皆様のお気持ちがまるくんを愛と感謝で包みましたよ。

(わたしはお花に負けじとカラフルなマカロンを贈ったので)

まるくんに色とりどりのきれいなお花を

手向けさせてくださった皆様に、この場を借りて

こころより感謝申し上げます。


このバスケットの儀式のバックに流れていたのが

モーツァルトの

「クラリネット協奏曲イ長調 (K.622)の第二楽章(アダージョ)」でした。

まるくんを撫でるわたしの耳にこのメロディーが触れたとき

また気持ちの揺らぎが限界を超え、滂沱の涙。

この曲はわたしが中学生のときから

自分の葬儀のときに流してほしいと思っていた曲だったからです。


係の方が「では、火葬の準備ができましたらお声を掛けにまいります」

とおっしゃって立ち去ったとき、

またまたわたしは「え?なんで火葬なんて言うの?」

・・懲りないですね、わたし。

どう見ても眠っているようにしか見えないんですよ、まるくん。

覚醒の望みがかなえられないなら、せめて

そのままの姿で残っていてほしいという

どうしようもない気持ち。

そんな子供のようなわがままを引きずりつつも時間は無情にも流れ

いよいよ「お見送り室」(火葬室)へと案内されました。

ここで流れていたのは「キャッツ」のテーマ曲「メモリー」。

高校2年のときに大好きだったアレッド・ジョーンズのベスト盤に

入っていた曲で、毎日何十回と繰り返し聴いていた曲です。

まるくん、どうしてわたしのツボをそんなに突いてくるの?

(シチュエーションこそ全く違うけど)火葬施設は

いやでも1月にダッハウで見たそれを彷彿とさせ

「メモリー」の曲の優しさをもつぶしてしまう

冷たさと寂しさと殺風景さが

わたしの最後の涙腺をぷちんと切りました。

参列者の皆様、ホールのスタッフ様、

赤子のように声をあげて泣きじゃくってしまったわたしを

どうか許してください。

この世にふたつとないきれいな毛色と未だ輝きを放つ毛艶を持つ

愛らしい天使を、どうしてあんな暗いところに入れなくてはならないの。

どうしてあの姿をわざわざほかの形に変えなくてはならないの。

悲しみというより怒りに近い気持ちを堪えながらするお焼香は

人生で初めてで、震えがとまらないところに

またがじゅ姐が寄り添ってくれました。

ああもう、ほんと情けないです。

今いちばんつらいのはこの人なのに。

ごめんね、ママを困らせてごめんね。


収骨室に案内されるまで一時間。

上のフロアで待つように言われましたが、

まるくんがひとりだけ残るお見送り室から

暫く目が離せませんでした。

がじゅ姐は気丈にも

「大丈夫。まるはもうあそこにいないからさ。」

と、わたしの背中をぽんぽんと叩いてくれます。

そうだね、ほんとにそうだね。

まるくんの魂はもうとっくにお空だったね。

お日様と にこにこ下界を見下ろしているんだったね。


収骨室では「うさぎさんにしてはしっかりとしている」

とスタッフさんも驚くほどのきれいなまるくんのお骨が

ちんまりと、しかし整然と部位ごとに並んでいました。

ひとりひとり、お骨を骨壺にいれてゆきます。

わたしは力強い後ろ足のお骨を入れさせていただきました。


ちっちゃくなったまるくんを見て

どうにかこうにかやっと現実をまるごと受容できてきたように思います。

でもね、やっぱりまるくんはわたしの中では特別なんですよ。

がじゅ姐と仲良くなってからは、

生のまるくんと遊んだりお話ししたりしてきたけれど

それでもまるくんは偶像崇拝に近いものがあるんです。

ずっと存在し続ける、永遠のいのちを与えられたアイドルなんです。

過去エントリ(2012年10月5日)

お迎えする子をメルさんか まるくん似の子か

どうしようか逡巡していた自分の記憶を綴っているのですが

ここに書いてあるとおり、まるくんはわたしの原点なのです。

だから、まるくんのいのちが終わりを迎えることなど

わたしの想定内ではなかったことなのです。


お骨をこの手で拾いながら、それは間違いではないことに気づきました。

まるくんは、まるくんのいのちは終わってなどいない。

ふわふわな姿とこの世での鼓動はなくなってしまったけれど

いのちは痛みやつらさから解放された自由な空間で

存在し続けているのです。


これからはいつでも好きな時に会えるね。

まるくんのことが大好きな人たちの気持ちの中で

ずっと生き続けるんだから、

あらためてこれからもよろしくね、ってお願いしなくちゃね。

お空で、これからもまるくんらしく。凛々しく。誇り高く。












        

ニックネーム らぼすたっふ at 19:12| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする