2015年10月03日

高原の麦ふりかけ&ドイツ統一記念日


今日10月3日はドイツ統一から25周年記念ということで

いつも以上に現地は盛り上がっているようですね。


思い起こせばあの1990年、まさかまさか

ライプツィヒに行くのにビザが要らなくなるなんて

本当に信じられない夢の時代がきた!と興奮したものでした。

ドイツ統一(Deutsche Einheit)とはいっても

正確には

東ドイツが西ドイツに編入されたのであって

「西ドイツ ライプツィヒ市」になったのですが。

(ものすごいおかしな感覚でした・・・)


今の若い世代の方々はこの経緯や背景を知らない人も

多くなってきているのかな?

そういう人たちのために

2分でわかる という動画が

YOUNG GERMANYさん から配信されましたので

紹介させていただきます。 (オフィシャルなので埋め込みます)





旧東独では「ベルリンの壁があった方がよかった」

と、理想と現実のギャップに悩まされた人々も

決して少なくはなかったらしいのですが(そしてそれは今でも

「オスタルギー」という言葉に集約されて

旧東独の心に根を張っている)

わたしの友人たちは異口同音に

「統一されて良かった!もし共産主義のままだったら

世界各国に自由に行けなかったし、なにより

自分のやりたいことや表現したいことを自由にできなかったはずだもの」

と西独編入を喜び、毎年お祝いの場に集っています。

*****

わたしが初めて旧東独を訪れたのは

この「ドイツ統一(=東独の西独編入)」の直後のことでした。

今ではほぼ毎年訪れているLeipzig(ライプツィヒ)。

バッハの聖地、そして聖トーマス教会合唱団の本拠地です。


当時、北回りのフライトなんて

格安航空券を謳うものですら30万円以上の値が付いていたので

わたしなんて手が出せるはずもなく

南回りのマレーシア航空にお世話になりました。

(9月料金で15万円だったかな?)

クアラルンプールからフランクフルトまでのフライトが


なんと 10時間遅れ どんっ(衝撃)あせあせ(飛び散る汗)


これには焦りましたね。

このひとつ前のヨーロッパ旅のときに使った大韓航空も

ソウルで5時間足止めくらったので

まあこんなもんかな、とは思っていたのですが

10時間空港に缶詰とは・・

それよりもexclamation×2がく〜(落胆した顔)

当時のライプツィヒにはホテルらしいホテルもなかったので

文通相手(死語)のところに泊めてもらう予定にしており

ライプツィヒ中央駅まで迎えに来てくれることになっていたので

フライト遅延を知った瞬間

日本円をマレーシアリンギットに替えて

ドイツまで国際電話をかけました。


が。


『只今この電話をつなげません。

旧東ドイツの新しい市外局番と、新しい固定電話番号を

調べてから、かけなおしてください』


このドイツ語アナウンスの繰り返し。

そんなのわかるわけないーーーーっ爆弾

日本のKDD(KDDIの前身で国際電話会社だった)に

問い合わせしようかとも思いましたが、

市外局番までは運よくわかったとしても

個人宅の電話番号なんて(ましてやここ数日で変わったと思われる

この混沌とした中で)KDDでもわからないよね、と

諦めました。

あ、クアラルンプールの空港の案内所にも

一応あたってみましたが

「ドイツが1つになったの?なにそれ?ほんと?」

みたいな返しだったので声もなく引き返してきました・・。

一度中央駅に来てもらって、わたしの姿が見えないことによって

「飛行機遅延」を悟ってもらうしかない。

そう思ったのです。

10時間遅れの飛行機の中は

マレーシアでのバカンス帰りの西ドイツ人ばかり。

もれなくわたしの隣席も3人組の西ドイツ女性で固められていました。

彼女たちにこれまでの事情を話すと

「まあ、東に行くの?」

「ひとりで?」( → 多分わたしは小学生くらいに見えたんだと思う)

「遅れたことをお友達は知らないんでしょう?

悪いけど、多分フランクフルトからの電車も

遅れると思うわよ。フランクフルト空港に着いたら

まず新しい電話番号を探してあげるから、お友達の家に

連絡しなさい。」


等々、我が事のように心配してくれました。

途中、給油のため

サウジアラビアやバーレーンに降りながら

20時間かけてやっとフランクフルトに到着。

(ああ、当時はほんとにヨーロッパは遠かったのです)

彼女たちは空港に着くなり

機内での言葉通り、電話局に問い合わせをしてくれ

わたしの友人宅の電話番号をつきとめてくれ

その場でわたしに電話をかけさせてくれました。

なんかそれだけでものすごく感激してしまったわたしは

友人のママが電話口に出て

『ああ!駅に行ったけどいなかったから戻ってきたの。

飛行機が遅れたのよね?』


と優しく言ってくれたとき、すっと肩の力が抜けて

はらはらと涙が落ちてきたのでした。

機内で一緒になった3人組は

その後わたしを「東行き」の電車のホームまで見送ってくれました。

「いい想い出をつくってね!」

というそのときのお別れの言葉が今でも耳から離れません。

連絡先を訊いておけばよかった・・。

そこから電車で5時間。

やっと着いたライプツィヒ中央駅は

ベニヤ板で覆われ、床材がところどころ抜け落ちている


とんでもなく暗くて汚くて臭い駅 でした・・。



現在の中央駅しか知らない人には

品の無い冗談としか

思ってもらえないに違いありません。

街にはトラバント(東ドイツの国産車。ダンボール車と揶揄されるが

発注から納品まで5年以上かかった)がエンスト起こしながら

それでも悠々と走り回り、30台に1台くらいの割合で

「TOYOTA」の文字を見ると

「す、すげぇー!!西側の人の車だ!」

と道行く人は声をあげていたものでした。

友人宅ではママが興奮して

「近くにスーパーマーケットなるものができたのよ!

プラスチック容器にサラダが入っているのよ!

珍しいから買ってきちゃったわ!」


と、日本でいうところのポテサラのようなものを

自慢げにわたしに見せてくれました。

わかりますよ、うん、わかります。

わたしもね、中学時代に自分の街に

初めてセブンイレブンができたとき

「自分で米を炊いて自分でこしらえるべき」

という概念のあったおにぎりが

商品棚に陳列されてるのを見て

ものすごーくショックを受けましたからねあせあせ(飛び散る汗)


*****

あれから25年。

フライト遅延があっても

ネットですぐに連絡できるでしょう。

ドイツに行くにしても

北回りで13時間もあればすぐに着いちゃうでしょう。

フランクフルトからライプツィヒまで

陸路(電車)で移動しようなんて

もう思わないでしょう。

・・時代は変わりました。

でもあの頃「不便」「無駄」と思っていたものこそ

本当の意味でのこころの豊かさを

内包していたのかもしれません。


*****

話変わりまして。

メルさんの「ご褒美」的位置付けの

「高原の麦〜アークトゥルスの瞬く頃〜」

が、どのお店でも品切れとなってしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

うさぎのしっぽさんのサイトで「入荷待ち」となっていたので

秋にまた出るんだろうなーと思っていたら

「来年の6月頃」と言われ、ショックがく〜(落胆した顔)

そうかー、うさ飼い5年以上にしてもうダメダメ飼い主顔(なに〜)

ぬかったぬかった。とんだ勘違い。

というわけで、ほぼふりかけ状態となった カス

与えられては喜んで食べているメルさんです。


151003_1.JPG


いい子すぎるよ、君・・。

ふりかけのカスのそのまたカスまで全てきれいに

食べつくす(舐めつくす)んです。

いい子、というよりももはや不憫に思えるその姿。


151003_2.JPG


はいはいたらーっ(汗)

高原の麦の代わりに、同シリーズのイタライを

沢山買いだめしたからね。来年の夏までは大丈夫だからね。

でもメルさん、これらはあくまでも「ご褒美」ですよ!

ちょっとずつ、ちょーっとずつ楽しむものだから

日々のチモシーをまずはモリモリ食べてよね。

(って、モリモリ食べてますね・・あせあせ(飛び散る汗)

ごめんなさいダッシュ(走り出すさま)





























       

ニックネーム らぼすたっふ at 11:25| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする