2013年01月30日

通院&東ベルリン

まずは1月28日(月)のメルさんの通院結果病院を。

残業が入ってしまったわたしは

らす´ に「全て任せたあせあせ(飛び散る汗)メールを送り、

診察途中のお部屋にこっそり遅刻していったのでした。

らす´ が既にメルさんの絶好調ぶりと

たまに両目に出る目ヤニのことを話してくれていたようで

わたしが入室したタイミングで

Dr.(=vet.)がメルさんの目にライトを当てました。

「うーん、なんともなさそうですねぇ。

鼻涙管もおかしくないようです。

多分、毛が目に入っちゃうんでしょうね」


とのこと。

ほっ。良かった。

メルさんの眼球に貼り付いた目ヤニを取るのが得意なわたし、
(って、自慢できることでもすることでもないのですが)

取った目ヤニはいつも細い糸くずのように見えていたので

Dr.のお言葉に「やっぱりな」と思いながらも

「顔洗いがヘタなのかな。それとも目の周りの毛が

抜けやすいのかな」


と、新たなメルさん独自の特徴を無意識に探っていました。

本当にニュータイプなヘンなうさぎさんです。

で、肝心の血液検査。

130130_0.jpg
(クリックで拡大)


GPT(ALT)値の欄に真っ先に目が行きます。

どきどきどき・・目

285exclamation×2

やったexclamation×2

前回と殆ど変わっていませんexclamation

ご覧のとおり、基準値からは大きく離れているけれど

ウサギメルさん基準ウサギ」として今までの数値を捉える限りでは

突出して高い値ではありません。

Dr.は

「やっぱりGPTが高いですねー」

と、そこはお医者さんらしく浮かない顔をしていたけれど、

わたしはもう嬉しくて嬉しくてグッド(上向き矢印)

Dr.が続けて

「でも、ASTやALP(←肝臓に関係する3つの酵素のうちの他2つ)

基準値ですからね。まあ、このままモニタリングをしていきましょう」


とお言葉をくださいました。

(今までにも何度か書きましたが、この3つのうち2つ以上の値がNGだと
肝臓に対する積極的検査や治療が必要となってくるそうです。)



メルさん、今のまま、どうか今のままで

ずっとこの先も続いていきますように。

そうそう、メルさんってば

ちゃんと診察が終わったことが判るんですよ。

らす´ の話によれば

診察前はキャリーの中で神妙にし続け

おやつをあげても食べようともしなかったのだそうです。

それが・・・

血液検査を終えて戻ってきたら

すっかり瞳の輝きも取り戻し

おやつに食らいついたりキャリーの外に出ようとしたり。

言葉や雰囲気って伝わるんだなあとしみじみ。


130130_1.jpg



130130_2.jpg


会計待ちのメルさん。明日葉の茎を頬張ります


¥お会計記録¥

130130_6.jpg



あ、忘れちゃいけない。

メルさんの体重ふらふら

なんと 1580gどんっ(衝撃)


初の1500超えですたらーっ(汗)

メルさん、今までカロリー無視の食生活だったけど

食欲を満足させながら体重を増やさないメニューを

考えていこうねー。


*****
話は飛んで。

先週末のこと。

「宅配買取は無理」と返品されてきた

20年も前のプラダバッグを

「捨てるには惜しい」と近所の質屋に持っていったら

ちょうど2人で映画を観られるお金になったので

迷うことなく『東ベルリンから来た女(原題「Barbara」)』

観に行きました。(@渋谷Bunkamura)

130130_3.jpg


壁崩壊前の1980年の東ドイツを舞台にした映画なのですが

まずは美術さん、よくここまで集めたなあと感心しきりの

東独時代の食品や乗り物や調度品の数々を見るにつけ

昨年訪れたドイツ最大の「DDR(東独)博物館」

脳裏を過るのでした。(そうか、こういう映画製作の際の貸し出しという役割
もあるのかな)



ストーリーはもうここに書くまでもなく容易に推測できるもの。

ということは、当時こういう現象が現地で

(日常的ではないにせよ)往々にして見られ

史実にもなっているということ。

ラストはさすがに想像がつかなかったけれど

ほっとするような落胆したような、非常に複雑な気持ちでした。


史実、と上述しましたが、こういう

「東独⇒西独への逃亡」系の話に接するたびに

否応なしに思い出してしまうことがあります。


あれは1988年、壁崩壊の1年前のこと。

東独から歴史と実力を兼ね備えた由緒正しい少年合唱団が来日しました。

その団員3名が日本公演中、東京のホテルを抜け出し

西独(大使館)に亡命したのでした。

(わたしは翌日の新聞記事で知りました。)

わずか17-18歳にして永遠に家族と会えない覚悟を決めた少年たち。

「あと1年待てば」。

それは1年後のドイツの状況など知り得ない当時、

誰にも言えない、誰にも想像できない言葉でした。


政治と芸術は対極にあるように思えて

実は互いに翻弄したり翻弄されたりという関係性を持ち

密接に結びついたものなのだな、と

当時のわたしは恐れおののいたものでした。


同じ東独において、その合唱団に比肩するところが

わたしが今も愛してやまない

Leipzig(らいぷつぃひ)のThomanerchor(とまーなこーあ)なのですが

そのThomanerchorはその亡命事件の3年前、

1985年に来日していました。

壁崩壊直後の混乱期にわたしがドイツに行ったとき、

1985年に日本ツアーに参加していた団員くんのお家に

泊めてもらったのですが

とにかく何にでもカルチャーショックを受けた記憶があります。

日本でおやつにもらったというキャンディーの包み紙や

コンビニのビニール袋が

「こんないい材質のものはこちらには無いから」と

きれいに保管されていること。

水洗トイレの流し方がわからなかったこと。
(DDR博物館にも陳列されていたけれど
天井からチェーンで吊るされているレバーを
思いっきり引くトイレ)


ファミコンなんてどの一般家庭にも無く

夕食後は皆でボードゲームに興じたこと。

バブルに躍る日本に1ヶ月ぶりに帰ってきたとき、

物質的豊かさと精神的豊かさについて

深く深〜く考えさせられた自分でした。



こういう映画が作られたり

博物館が残っていたり

歴史の負の部分についての真実を記したモニュメントが

街のあちこちにあったりするドイツという国が

わたしは好きです。

(旅行者目線だからそう思えるだけかもしれませんが。)


歴史の教科書についても、ドイツは

隣国(フランスやポーランド)と共同製作しているのですよ。

それに比べて・・・。

と後を続けるとエンドレスになりそうなので

これにて長文エントリ終了ー。

お口直しに。

130130_4.jpg

らす´ オススメの朝摘み野菜料理食べ放題の「春秋」のランチ

新しいお皿が来るたびに載ってるものが違うのでついつい食べ過ぎた・・・。









ニックネーム らぼすたっふ at 12:30| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする