2017年09月20日

それでも生きる、生きていく



3連休初日、小学校の時のプチ同窓会がありました。

同窓会とは名ばかりの、独りで寂しいわたしがFB経由で召集をかけた

半強制的な34年ぶりの再会を祝した(?)呑み会でした。

幹事となってくれたNくんが東京在住だったこともあり

千葉の寒村(失礼!)からはるばるかけつけてくれた心優しい人も・・。

わたしのためにありがとう。(大いなる勘違いです、はい)


そこで、わたしはタイムラグもありありな、

タイムラグという言葉にすら失礼な事実と直面したのです。

わたしの青春時代、つまり、小学生時代〜高校生時代に

わたしの少年合唱への想いを聴いてくれ、

常に笑顔でわたしを応援してくれていたMちゃんが

とっくのとうにこちらを見守る側の空の住人になっていたことが

Kくんから告げられたとき、

やっとの思いで口をついて出た言葉が「うそでしょ」。

はらはらと頬を伝う涙の感触に気づくまで

かなりの時間がかかりました。

小学校のときも、(中学は別でした) 高校のときも

席が隣同士だったことの多かったMちゃん。

わたしなんかよりずっと賢くてしっかりしていて

前向きで明るかったMちゃん。

どうして。

どうして。

どうして。


Mちゃんの最後の気持ちはわかりません。誰にもわからないと思います。

だけど、無駄に記憶力のいいわたしは

自分を呪うしかありません、今は。

Mちゃんがかけてくれた言葉のひとつひとつ、

Mちゃんがくれた年賀状に描かれていたイラストのひとつひとつ、

小学校の文集に綴られていた文字のひとつひとつが

仕事中でも否応なしにわたしを捕まえにきては放しません。

Mちゃんの歯切れの良い物言いやα波を呼び寄せる朗読に適した声も

わたしの耳元から離れません。

どうして。

どうして。

どうしてなの、Mちゃん。


わたし(たち)のふるさとは海沿いの街です。

チャリでちょこっと行けば太平洋です。

あの海を見てずっと育ってきたわたし(たち)には

あの海を自分が還る場として捉えるDNAが

埋めこまれていたのだろうか。

Mちゃん、そうなの?


Mちゃん、わたしはね、

たとえそういうDNAがプログラミングされていたとしても

もう少し頑張ってみるよ。

だってね、Mちゃんわたしに言ってくれたじゃない。

「えーちゃん(← わたしの本名をもじったほんとのニックネーム)、

合唱と出会えてよかったねえ。

えーちゃんの人生はそこから始まったんだねえ。

わたし応援するよ」

って。

高校2年のときにはわたしに感化されて

アレッド・ジョーンズのCDまで率先して借りてくれたじゃない。


Mちゃん、今、空のどのあたりでわたしの叫びを聴いてますか?

わたしが14年前に(今はクローズしてしまった自分のホームページに)

書いたエッセイもどきを敢えてここにコピーするから

読んでみて。

わたしが「もうちょっと頑張ってみる」原点はここ。

Mちゃんがよく知ってるここにあるんだよ。


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<2003年5月2日>

“20周年記念熱”が冷めぬうちに、と

久々に1983年来日公演ビデオを取り出してきた。

何千回、何万回、と繰り返しデッキにかけられているテープが

かわいそうになるほど、今まで文字通り数え切れぬ回数と

大な時間をこのビデオテープとともに過ごしてきた。

そして今日。

20年という感慨がそうさせたのかわからないが、

涙があとからあとから溢れて身体中の塩分が抜けてしまうというくらいに

わたしははらはらと泣いた。泣いて泣いて泣きつづけた。

記憶の奥底に沈んだ残滓が少しずつお互いを引き寄せ合い、

それがいつのまにか大きな津波となってわたしを揺さぶったのだ。

いつものように「温かい想い出に浸り楽しむ」という甘っちょろいものではなく、

12歳当時のわたしが体験した興奮や緊張のひとつひとつが、

「“一生懸命”を忘れるなかれ」と今のわたしを苛むが如く、

一瞬一瞬の歴史を生きたわたしのココロを背負って

眼前に立ちはだかったのだった。

1983年の5月5日に偶然テレビでキャッチしたウィーン少の公演番組。

わたしが観たのは第2部のオペレッタ(『ウィーンの昔の物語』)の途中、

しかもラストの大団円に近い部分からだった。

やけに美人な外国人の女の子だなぁ、歌もとんでもなく上手い。

どこの団体だろう?これってオペラというやつかしら?・・・

と目を移した新聞の番組表には「ウィーン少年合唱団」。

「なに、少年合唱団って。少年少女じゃん。なに間違えてんの、この新聞。」

なんの罪もない新聞にブツブツ文句をいいながら

観終えた第2部からCMを経て再び番組が開始される。

ウェルナーの「野ばら」に始まった第3部でわたしは

「電流の洗礼」を受けることになる。

このときのわたしの衝撃は、いまだに表現に値する言葉が見つからない。

ピアノを囲んで整列したセーラー服の少年たちが

指揮者に視線を集めながら思い思いの表情でメロディーを放っている。

その歌声は、人間のものとも天上のものともつかぬ

現実感のない美しさをもって何層にも重なり合い、

ひとつの響きをつくっている。

わたしは暫し茫然とした。

身体がわなわなと小刻みに震え、頬が紅潮し、

頭の先からつま先までをかけぬける鋭い電流に当惑しながら、

今何が自分に起きているのかを必死に捉えようとした。

次々と紡ぎ出される彼らの歌声がわたしの耳に届けば届くほど、

鼓動がどんどん速まり全神経がテレビに注がれていった。

「・・・これって“感動”というヤツなのだろうか。」

やっとわたしは自分で自分に問いかけができる余裕を取り戻した。

それにしても、ステージ上を隈なく見ても男の子ばかりではないか。

男の子がこんなに綺麗な声を出すものなのか。

いや、それより何より、男の子が歌を嫌がらずに歌うものなのか。

男の子だけで、こんなにも穢れのない音楽が完成させられるものなのか。

興奮と疑問と混乱とで、こころが弾けそうになりながら聴いた第3部。

曲が進むにつれ、わたしは自分の目と耳が

ひとりの少年を追っていることに気づいた。

「ピアノの隣の人」。その頃はソプラノもアルトもまったくわからないから、

わたしは彼を自然にそう呼んでいた。

そして恐らくその人物は、わたしが初めて聴いた

「ウィーン少の声」の持ち主---オペレッタのミッチー役の人---と

同一人物であるはずだった。

おさげ髪やワンピースが無くなっても、

歌う表情や声は確かに「ミッチー」だった。

その確信を固めながら、どんどん進んで行くプログラムに

ぐいぐい惹き込まれて行くわたし。

アンコールの「美しき青きドナウ」では全体の歌声がやっと

「現実のモノ」であることを認識し、

その「ホンモノ」が「ホンモノであること」への奇蹟を喜び、感謝し、

つい20分ほど前に全身で受けとめた「感動」を

そっと自分の手からこころに降ろし・・・

ここでやっと涙がじんわりと滲み出た。

人生で初めて体感した「感動」という出来事への驚愕と、

自分は大変な出会いをしてしまったという大きな、

確かな予感が涙という形になったのだった。

ウィーン少への興味・関心・憧れ・崇拝に連動して、

わたしはひとつの疑問に捕われてゆくようになった。

「ピアノの隣の人は誰?」

一番表情豊かに歌っていた人、

一番歌声がこころと耳に残っている人、

一番笑顔が素敵だった人。あの人は誰?

20年前はインターネットなんて便利なものはなく、

加えて世間知らずで無知だったわたしは

自分の情熱をどのように結果につなげたらよいのかわからず、

ただその糸口を自分なりに手をこまねきつつ探っていた。

そこで思いついたのが「レコード購入」。

「ウィーン少年合唱団のレコードを買えば、

あのときの歌声がそのまま入っているかもしれない!

メンバーの名前もわかるかもしれない!」

逸る気持ちを抑え、市内で唯一の「楽器&レコード店」へ向かった。

「ウィーン少年合唱団のレコードをください!」

『あの・・・沢山出ていると思いますが、タイトルは何でしょう?』

・・・・・。

ウィーン少年合唱団のレコードって1枚じゃないんだ...。

アホなわたしは、そのときは

「ウィーン少年合唱団のレコードが沢山ある=沢山の歌声や曲をこれから楽しめる」

ことなど微塵にも思わず、

「レコードが沢山ある=“ピアノの隣の人”への手がかりがなくなってしまう」

悲しさで、レジカウンターの前でしょんぼりと凹んでしまった。

それでも(勿論!)注文したレコード。

わたしが初めて買ったウィーン少のレコードは、

「来日記念盤」という帯の付いた

「野ばら・美しく青きドナウ〜ウィーン少年合唱団ベスト・アルバム〜」

と題されたもの(RCL-8001)だった。

今でもそのレコードをときどきプレーヤーに載せるが、

届いたレコードのジャケットに「ピアノの隣の人」が

いなかったショックがいまだにチクリと胸の奥に残っているのが可笑しい。

そのレコードを機に、わたしは狂ったようにウィーン少のレコードを買い集めた。

とはいっても月々の小遣いが2000円の身だから

「狂った」といえども程が知れている。

それでも月1ペースで買うレコードに

初めて針を落とす緊張感・新しい曲の発見・新しい歌声から届く感動は

回を重ねるごとに強いものになり、

小学生としては立派な(?)散財家及び中毒患者だった。

一方の「ピアノの隣の人」探索の進捗はというと、

こちらは難航を極めていた。

名前はおろか、その姿すら自分の記憶以外には情報が無い。

当時、わたしの家にはビデオデッキなんて

高価なものは無かったから(時代はちょうどβとVHSの覇権争いの頃だ)、

日に日にぼやけかすんでゆく彼の笑顔を、眼差しを、そして歌声を、

絶対にこれ以上脳裏から剥がれ落としてはならぬ、

こぼれ落としてはならぬ、と必死だった。

テレビから目にこころに焼き付いた彼の残像を

なんとかして記憶に留めておこうと、

その残像を頼りに似顔絵を描いてみたりもした。

そんなちっぽけな努力に神様も苦笑したのか、

吹く風も冷たくなってきた頃にやっとわたしにも

いささかの知恵なるものが天からもたらされるようになった。

「電話」。

なんとかして関係者に電話をつないでもらい、名前を教えてもらおう。

公衆電話など今まで教科書を忘れたときぐらいにしか

(←親に届けてもらう甘ったれ)使ったことがないが、いざ挑まん!

そう意気込み、わたしは小学校職員室前のピンク電話から

電電公社(現NTT)の番号案内に電話をし、

テレビ朝日の代表番号を聞き、テレビ朝日の事業部というところに

つないでもらった。

「これでピアノの隣の人の名前がわかる!」と喜んだのも束の間、

電話の向こうからは

「ショパンという雑誌を発行してるところに手紙で問い合わせてください」と

返され、教えられた(株)東京音楽社(現「(株)ショパン」)の住所を

必死にメモし、60円切手を同封して初めて

「問い合わせ」なる手紙を投函するに至ったのである。

返事が届いたのは年が新しくなって日も浅い頃。

そのときの興奮も今尚記憶に新しい。

「ピアノの隣の人(オペレッタではミッチー役)は

ルネ・ツェルンチェッツ君といい、

同封の写真の右から○番目の・・・」

丁寧に記された手紙を読む目と手が止まり、

封筒に入っていた1枚の写真にわたしは気づいた。

その写真に目を落としていたのは一体どれくらいの時間だったのだろう。

親兄弟が呼びかけても、身体を揺すっても、

わたしは写真を見続けて放心状態にあったというのだ。

8ヶ月ぶりに見る彼の姿。

自分の記憶だけにすがりついていた彼の姿が

今きっちりとこうして写真にうつし出されている。

彼の笑顔とともに甦る5月5日の感動。

あのときの電流が再び身体中を貫き走る。

「ミッチー」はやっぱり「ピアノの隣の人」だったんだ。

そして彼の名は・・・「ルネ」くん。

ルネくん。

ルネくん。

ルネくん。。。。。

わたしは幾度もその名を反芻した。

8ヶ月分、その名を唱えつづけた。

それからはぐんぐんとわたしの行動力が厚かましいほどに迸り出て、

今の「わたし」に繋がる素地ができあがっていった。

当時の日記に目を通すと我ながら赤面を通り越して

「アホだわ、こいつ」と思えるような文言・内容が炸裂している。

毎日毎日がそれはもうウィーン(少)一色で、

(株)東京音楽社から1983年組のパンフレットを3冊も買い求め、

1冊は温存用、1冊は写真部分を切り抜いた「自分だけの83年組アルバム用」、

そしてもう1冊はこれまた写真を切り抜いて「部屋に飾るフォトフレーム用」

として、83年組にいつも囲まれる幸せを延々と綴った文章には、

嬉々とした自分がハサミを持って今にも「こんちは」と顔を出してきそうな

勢いが熱く煮え滾っている。

およそ洒脱とは云い難いそれらの日記は

どれもこれも小気味悪さすら漂わす羞恥の記録の集積だが、

その中でも特に、ルネくんにファンレターを出すまでの過程は

とてもヒトには見せられないもので、

アウガルテンの住所を知り得た喜びが

3日間にも渡った興奮状態で書かれていることに始まり、

「国際郵便を出す郵便局っていうのはわたしの市にもあるのだろうか」

というマヌケな本気の悩みや

「日本語でも大丈夫かな。

きっと通訳さんが向こうにもいるはずだから大丈夫だよ、うん。」

という超前向き思考が語られ、

そしてきまって毎日の結びの文句は

「今日もウィーン少年合唱団のレコードを聴いています。

ウィーン少年合唱団との出会いは神さまからのプレゼントです。

こんな音楽がこの世にあったなんて!

そしてルネくんから返事が来ますように!」

と、なんともはちゃめちゃなものである。

さてさて、今と変わらず安直で短絡的なわたしであるから、

即刻ウィーンへ行くことを考えたのはごくごく自然なことであった。

情報を得れば得るほどに夢もまた大きく広がった。

「ウィーンで働くにはどうしたらいい?

日本人学校の先生になればいいよ、そうだそうだ!」

と思い立っては文部省(現文科省)に手紙を書いてみたり

(速攻で返事が来たのは驚きであった)、

日本人学校の校長先生に「日本の大学を出てからでは遅いのです。

わたしの情熱が今この最高潮にあるときに、

どうぞ現地でドイツ語を勉強させてもらいながら

ウィーンの学校を卒業後に現地採用教員として雇ってください。」

と失礼極まりない手紙を出したり

(こちらもまた穏やかな窘めのお返事をすぐに頂いた)、

「天使はうたう」という書籍の翻訳者の方に手紙を出したり・・・と、

手紙漬けの毎日であった。当然ルネくんへの手紙はほぼ毎日だったから、

一歩間違えれば(間違えなくとも)ストーカーのわたしであった。

そんなストーカーが過ごした中学時代。

周囲では、やれ何部の誰クンが好きだの、

何組の誰クンがカッコいいだの、

女の子が楽しそうに群れて

きゃっきゃきゃっきゃと普通の「青春」を謳歌している中、

わたしはウィーン少(全体)への想いと

彼らの発する歌声への感動を存分に自己の中で展開しながらも、

相変わらず「連動」するルネくんへの気持ちを手紙にぶつけていた。

しかしそんな中、ルネくんへの手紙が日本語から英語へ、

英語からドイツ語へ、と言語手段が変わり、

また、宛先もアウガルテンからルネくんの自宅に変わり、

そして中身も微妙に変容を帯びるようになってきた。

どうしても時間の経過には逆らえず

「12歳現在の気持ち」が経過時間分を遡った「過去の気持ち」になり、

「12歳の自分」を見る「もうひとりの(今現在の)自分」として

手紙を書くことの辛さが、

不毛な感と停滞状況へのフラストレーションを増幅して行ったのだった。

純真な想いを貫こうとする気持ちと、

このままではずっと足踏みしているだけだという焦燥感との葛藤が続くうちに、

わたしは当時のルネくんを追い越す年齢に達していた。

徐々に手紙の投函の頻度は低下し、

曲がりなりにも心理発達課題をクリアし

人並み(以下)の成長を遂げたわたしは、

1986年組の来日と初めてのウィーン少おっかけを契機に、

ルネくんを「こころの神棚」に上げる決意をした。

わたしの中ではルネくんはいつまでも14歳のままだが、

彼だって生身の人間だ。

生活も人生も着実に進んでいる。

手紙を書きつづけていてもその先に何があるというのだろう。

一時期は本気で「会う」ことを夢見、

それを励みにしていたけれど、

それがわたしに、そしてルネくんにとって何になるというのだろう?

そこにどんな価値があるのだろう?

巷では、当初は1983年組の話題に燃えていた人たち

(←当時は少年合唱愛好サークルが沢山存在し、

そこでなされる(紙面中心の)さまざまな活動が、

情報入手と友人づくりの大切な場となっていました。

冒頭の「1983年組来日公演ビデオ」も、

1984年秋にサークルの会員さんから譲っていただきました。)

は、既に1986年組の話題に尽き、

そしてもう次の1989年組のことで頭がいっぱいだ。

チケットやメンバーの情報交換が日に日に激しい。

皆それぞれ「次」「未来」へ向けてどんどん進んでいるんだ。

わたしもこのへんで腹を括らないと、

ずっと中途半端な気持ちでウィーン少年合唱団と向き合っていくことになる。

そのような考えが、徐々にわたしの頭をかすめるようになった。

そしてわたしはその考えと、12歳の誕生日からの自分の気持ちとを整理し、

遂に果断な決意に至った。

日記の日付を見ると、中学卒業の日のことである。

意味不明箇所・完全に自己陶酔している箇所等々、多々見受けられるが、

20年の歳月を経てもわたしはわたしであることに変わりはないから、

自分の主張がよく解る。

きっとこれは自分だけにしか理解できない寂寥と訣別と新たな誓いに違いない。

「アホだわ、こいつ」と思える自分が

20年前に居てくれたことが何故かありがたくて、

そして、あの頃の一生懸命さや一途さが眩しくて、また涙が滲む。

-----

Mちゃんが影に日向に支えてくれたから

今のわたしがあるんだよ。

人生は合唱だって言い切れる自分がいるんだよ。

ルネくんとだって、このエッセイを書いた年に

ウィーン少本家サイトの掲示板で繋がることができたんだよ。

だけどね、14歳のルネくんとオトナになったルネくんは

やっぱりわたしの中では別人で、

ココロの中でもアタマの中でも統合することができなかった。


Mちゃんとこういう話をしたかったよ。

ちゃんと報告したかったよ。

どうしてお礼を言わせてくれなかったの。

Mちゃん、もう一度会いたかったよ。

今のわたしがわたしであることへの感謝を伝えたかったよ。

高い秋の空がいつもより更に高く感じる。

Mちゃんのせいだよ。

幽霊でもなんでもいいから出てきてよ。

話をさせてよ。

Mちゃん、大好きだったよ。ううん、大好きだよ。











          

ニックネーム らぼすたっふ at 23:13| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

GONちゃんに会ってきたー


今週火曜のこと。

「らすっちょ(仮名)さん、申し訳ないけど

明後日の木曜に

小松菜年金事務所に行ってきてくれます?」

職場の上司からこのクソ忙しい中旬に鬼の指示。

駅から徒歩20分なんて酷暑の中やだよー。

どれどれ、どこにあるのよ、その年金事務所。

わたしが担当するクライアントさんを管轄するところだから

ねずみーらんど近くの東西線沿線かしら?

そう思ってグーグルせんせに訊いたら

表示されたMAPを見てびっくり。

うさ友GONちゃん(@「兎魂」)の職場の(ほぼ)はす向かいじゃないのっ!

さっそくGONちゃんにLINE。

「バスとか出てるのかな。

なんとかして上司にバス使用認めてもらうから」

(↑ 自分で調べろっどんっ(衝撃)


優しい優しいGONちゃん、2つの路線のバス時刻表を送ってくれました。

「うわー、ありがとう!

じゃあ、勤務中だろうからこっそりGONちゃんの職場を通りすがって

星明子するね(←これわかる人は相当昭和な人間)」


ということで

行ってきました小松菜区。

ちゃっちゃと年金事務所での届出を済ませて

いざGONちゃんを星明子しに。


そしたら

「いらっしゃいませー」の声とともに

背後からわたしの肩をがっしり掴むあったかい腕。

GONちゃーん!!

そこには笑顔いっぱいの、でもシゴトなうな感じの

凛々しいGONちゃんが確かに居た!

あー久しぶりだよぅもうやだ〜(悲しい顔)

夏にあったいろいろをLINEで聴いてもらって

そのたびに含蓄ある言葉を何度ももらっていたけれど

実物に会えるのってやっぱりそれらの何倍も嬉しいよ。

GONちゃんったら

メルさんのために


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その日の朝まで干してあった葛の葉を用意しておいてくれたのです。

あとは、タントくんも大好物だという


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パパイヤのおやつ。

もうね、これだけで涙涙なのに


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これとか


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これとか


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これとか(笑)

わたしのためにもこんなに

しかも各々メッセージ付きで

まごころのプレゼント。

ありがとうありがとう。

ほんとはお茶したかったね。

たくさんたくさん話したかったね。

お互い仕事中なのでそんな願いも叶わず

ものの5分ほどでバイバイだったけれど

わたしは出口のところでちょい不審者になり

てきぱきと働くGONちゃんをしばし星明子してから

退散いたしました。

GONちゃん、かっこよかったー。笑顔で素敵だったー。


その日の夜、メルさんに早速一部始終を喋りながら

葛の葉をさっそく献上。


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(ちょっとニヒル...?)


本当に本当に本当にありがとう。

感謝しかありません。

そして、友情ってあったかくてありがたいなっていう

実感しかありません。

ゆっくり会って語らえる日が来ることを祈りつつ

その前にまた小松菜区に出張あったら手を挙げようと

思っているわたしであります。


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ニックネーム らぼすたっふ at 15:11| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

ぉぇのお顔&ドイツからの友人


まず。

予告だけ書いておいて報告がすっかり遅れましたが

「7月にドイツから旧友が観光に来るーー」


の件。

7月に入ってからわたしの人生に第二の試練が降りかかったこともあり

オーガナイズもなにもないまま、ブクロの蕎麦屋でお昼を食べ

それから近場の護国寺に連れていきました。

東京で一番「真夏」だったときのこと。

Tくんは何度か日本に来ているし世界中を巡っていた人間なので

ある程度は酷暑と湿度に覚悟はあったものの

パートナーのKくんはヒコーキ初めて、こんなに暑い国初めて。

そんなときに冷房もクソもないお寺に連れて行かれて

まぁまぁほんとかわいそうに・・。(ごめんよKくん)


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魂半分抜けたKくんが撮ってくれたわたしとTくん


Tくん、腹出た〜〜〜(そこ?)


21年前の夏のライプツィヒでの写真↓ 合唱団制服に身を包んだTくんと。


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いやー若いねわたし。

(だからそこじゃないって)

お互い成長したもんです。

Tくんとはこれからも細く長くつながっていくでしょう。

そしていつかマイルが貯まったら

わたしはまたライプツィヒを訪れるでしょう。ええ、一人で。


そりゃあもちろん、これから一緒に歩んで行く方向が一緒の人がいたら

第二の人生、彩りがあるだろうなーと思いますよ。うん。

だけど、寂しさに負けて誰でもいいから傍に居て欲しいと思うのはやめて

(わたしは寂しがり屋あーんど惚れっぽいのでそこ注意)

ほんとにこの人と同じ風景を見て同じ音を聴いていきたいなーと

思える対象が現れるまでは、しばし寂寥感と対峙しながら

孤独と上手に付き合うことを決めました。

ここ(いちおうメルさん主体の健全ブログ)には書けないようなことも

この数ヶ月で色々経験しましたが、

現代に生きる現代人のための現代人によるオトナの付き合い、というのは

思いっきり昭和なアナログ人間であるわたしには

しっくりこないということが痛いほどわかりました。


それにわたしには大事な家族、もとい、彼氏(!)がここに居るし!


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ほら、イケメンでしょうー。

ニュータイプだから、きっと長生きしますよ。

それに最近とても体調が安定していて良いのです、メルさん。

黄金のハンバーグうんちも素晴らしく、

顎が濡れる謎現象もすっかり消滅、

おトイレ成功率もぐぐっと上がって

かーなーりーの優等生っぷり。

それにね、心配していた体重もちょっと増えてきた感じなんです。

次回の健康診断が楽しみ。


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ぉぇ

も健在ですよん。ほとんどハムスターだなこれ・・。









      
ニックネーム らぼすたっふ at 21:55| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

健診&爪切り


2か月おきの健診&爪切りに行ってきました。


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待合室にて。

いつものことながら、緊張いっぱいで目がどよよーんと暗いメルさんです。


先月一か月は謎のアゴの濡れ(よだれ?)があり

うさ友さんたちにも沢山の心配をかけてしまったのですが

それもすっかり良くなり、万全の体調で臨んだ本日の健康診断。


しかし。

体重が 1.12kg でした・・。

4月16日 1.51 kg

下

6月10日 1.34 kg

下

7月16日 1.18 kg

下

8月13日 1.12 kg




この4ヶ月間だけを見てもずいぶんと軽くなっています。

食欲は昔のまんまのメルさん(起きている間はずっと食べている)だし

運動量も運動スピードも低下していないし

排泄物も良い状態でまったく変わりない。

いたって健康優良児なのですが、やはり上記の体重推移を見ると

もう「児」ではないんだな・・と哀しくなります。

先生曰く

「加齢により、筋肉の量そのものが落ちてきているんでしょうね。

これは7歳という年齢を考えると、自然なことともいえます。

あと、心拍スピードが少し遅めになってきました。

これも加齢によるものですね。」


・・・もうね、わたしの性格上、こういう先生のセリフを聴くだけで

『その日』を想像しちゃって暗くなってしまうのですが、

「こういううさぎさんの場合、

若さを保つための(心臓の)薬を投与する方もいます」

という先生の言葉にはなんだかとても違和感を覚えてしまい

「今、目の前で呼吸が荒かったり苦しそうだったりしたら

もちろん検査や投薬を考えます。

でも、アンチエイジングを目的としたもの、

お別れする日を延ばすためだけの措置だとしたら

そこまでは考えていません。

この子だって生き物ですから、それなりに自然に歳はとるものだと

覚悟しています。」

と答えている自分がいました。

価値観は個々人さまざまだと思いますが

自然に(ある意味「健康に」)歳をとっているだけなのに

それを遅めるために医療の力を借りるというのは

飼い主のエゴにしか思えないのです。

今の時代の考えについていけていないのかな、自分・・。


もちろん『その日』が来るのは怖いですよ。恐ろしいですよ。

だってメルさんしか今のわたしを支える存在っていないわけですから。

メルさんがいなくなっちゃったら

自分がどうなっちゃうかもわからないくらい

怯えているんですから。

だけど、そんな自分の都合のために

メルさんの自然な老いを邪魔したくはないのです。

倫理観なんてたいそうなものではないですが、

生きとし生けるもの、誰もが向かっていく先は同じで、

それまで与えられた時間を

どのように有意義に有効に彩ることができたか、で

『その日』の迎え方が違ってくるんだと思っています。

メルさんだけでなくわたしも同じ。

だから毎日メルさんを撫でながら

「大好きだよ」を繰り返します。

最近はよく

「頭撫でて〜」と自分からわたしの手の下に

頭をもぐらせてくるようになりました。

メルさん、ほんとに大好きです。











        
ニックネーム らぼすたっふ at 13:34| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

すいか食べた


今年はスイカは買わないでおこうかな、

いつも一個まるごと買ってた(or 実家からもらってた)けど

今年はひとりじゃ食べきれないもんな。

って思っていたけど

わたしと同じくらいスイカ好きがいるので

近所の八百屋さんで298で売られていたのを買ってきてしまいました。


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このくらいの叩き売りだったら甘くなくても諦めがつくよね、って。

そしたら!


最高に甘かった!!


賭けに勝ったようなテンションで、メルさんと一緒に

もりもり食べました。

好きなものを食べるって大事ですね。

ひとりと一匹とで食べる時間も

初めの頃は寂しくて耐え切れないと思っていたけど

時間薬がなんとかしてくれます。

来年もまたスイカ食べよう。ね?メルさん。











         
ニックネーム らぼすたっふ at 21:28| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

葛の葉とパパイヤがきた!


周回遅れのエントリになりますが(汗)

先月、GONちゃん(@「兎魂」) から

「メルさんがもっともっと元気に長生きに!」

との願いを込めて

葛の葉と乾燥パパイヤ(お手製!)を贈ってくれました。


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いつもながら売り物も真っ青なパッケージ



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青々とした葛の葉

どちらも久しぶりです。

メルさん大興奮!


葛の葉は、音というよりも珍しく匂いに速攻で反応していましたよ。


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おいしいねえ


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止まらないねえ


パパイヤの方はちょこっと動画が ↓





メルさんの食欲、7歳を過ぎてから更にパワーアップです。

GONちゃん、いつもいつも気にかけてくれてありがとう。

ニンゲン用にはゆらゆら揺れる立体うさぎのメモ(ああ、失態、写真なし) をいただき

早速職場での注目人気アイテムになっています。

夏にも冬にも強いメルさん、今のところ絶好調ですが

いつ急変するのかわからないのがうさぎさんの怖いところ。

しっかり見守ってゆきますぞ。












         
ニックネーム らぼすたっふ at 10:18| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

メルさん健診&来月ドイツから


2か月ぶりのみわエキゾです。

ひとりでは爪切りできなくなったことと、7歳という年齢を鑑みて

2ヶ月おきに通院することになったメルさん、


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やはり診察台の上では動かざること剥製の如しあせあせ(飛び散る汗)

いや、本当はいいんですけどね、

でも

『メルくん、なんでこんなにおとなしいんですか。

他の子は台から飛び降りようとしたり手を噛んできたり

ちゃんと「いやだ!」という意思表示しますよー』


と、これまた恒例のDr.のお言葉。

メルさん、この剥製状態のままずーーーっと動かないんです。

多分、

「ボク今たましい半分抜きモードですので好きにしてください...」

って言ってると思います。

メルさんのスタンダードがこの状態だとわかってもらえないと

どこかに異常があると誤診されるので

他病院では要注意だなとあらためて思った次第であります。


あと・・またまたいつもの不思議な問題がふらふら


体重が少ない!痩せすぎ!


皆さんご存じのとおり、起きている時間は

際限なく食べ続けているメルさんです。

いつもお口をもぐもぐ、食欲旺盛です。

それなのに。ああそれなのに。


本日の体重、ここ7年の中で

最低記録(ある意味最高記録)出てしまいました。


1.34kg


なんでなんでなんでexclamation&question

ありえないありえない・・

痩せの大食いとはまさにこのこと。

「もう少しお肉つけてあげましょうね」とDr.

でもでも、おやつをいたずらにあげればいいってもんじゃないし

ペレットも体重の3%ちゃんとあげているし

嗜好性の高い牧草(ウーリーさんのイタライや麦シリーズ)もたっぷり、

主食の牧草ももりもりぽりぽり。

これ以上どうしろと・・。

これもまた他病院では

「何日もごはんを与えていない虐待飼い主め!」と

レッテルを貼られること間違いなしなので要注意でありますどんっ(衝撃)

上記のほかには異常も見られず

再診料と爪切り代で 1,836円也¥

2か月ぶりに爪切り受難に遭ったメルさんは

帰宅後暫くケージにおこもりでしたが

ものの10分とたたないうちに

サークルにとととっと降りてきて

えん麦を食べ始めました。

こういう素直でかわいいメルさんが大好きですハートたち(複数ハート)


*****

ところで。

まだまだ先、と思っていたら

来月になってしまいました。

何の話かというと、いつもドイツはライプツィヒに行くたびに

お世話になっていた(1996年&2000年&2003年&2004年日本ツアーでは

こちらがお世話していた)20年以上の付き合いになる

TくんとそのパートナーKくんが

日本に(観光で)やってくるのです。

湿気と暑さに弱い彼らがなにゆえ真夏の日本に・・。

という謎はおいといて。

TくんとKくんには2014年の大晦日に自宅にお呼ばれし

手作りのお料理までいただいてしまっているので

それなりのご恩返しをしたいところです。

地上や屋外に出ない方向で

何かオーガナイズしないといけません・・。


あとは、続く8月にドイツから友人が一時帰国予定。

なんとかして半日でもお昼だけでも会いたいところです。

入社したばかりで有休も発生していないのに

夏休なんぞいただけるのだろうか・・(怖くて上司に訊けない小心者)









ニックネーム らぼすたっふ at 09:32| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月02日

朝からバナナ



転職して3ヶ月。

給与はぐっと下がり、帰宅時刻もずっと遅くなり

メルさんには苦労をかけるばかりです。

でもここが踏ん張りどころ。

まだまだひよっこだけどキャリアを積んで

それなりに社会貢献できるよう

今まで宝の持ち腐れだった国家資格を

実務で磨いていきたいです。

体調には相変わらず波があり

仕事中でも耐え切れずに頭痛薬のんでしまうこともあったり

不眠に悩まされたりすることもありますが

きっと自分で気づかないうちに

徐々に徐々に

「これがスタンダードなんだ」と

完璧を求めずあるがままを受け容れられる自分が現れるはず。



以前にもましてお留守番上手になったメルさんに

今日は朝から特別ご褒美。

いつもは朝はいかなるおやつも与えずに

サークルタイムはひたすらオーツヘイだけなのですが

わたし以上にいつも頑張っている彼にバナナを。





相も変わらず「ぉぇ」健在のメルさんに

焦ったりほっとしたり。

そしてこの愛らしい姿にただただ感謝と涙。


うさ友さんHさんが言っていました。

「うさぎさんってある程度の年齢を越えると

人智を超えた能力を発揮する。

今、らすさんの状況をすっかり解っているメルさんは

全力でらすさんを支えようと思っているはず」。


・・泣けました。

思っていたことをそのままコトバにされたから。

メルさん、傍に居てくれて、守ってくれて、支えてくれて

ありがとう。








      
ニックネーム らぼすたっふ at 21:04| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

7歳おたんじょうび


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メルさん、本日7歳になりました。

メルさんの存在の大きさをこんなに実感しながらの

お誕生祝は初めてです。

インスタやメール、LINEで真心いっぱいのメッセージをくださった方々

本当にありがとうございます。

皆様の優しさがこころにしみわたります。

また、先月フォームメールでわたしを気遣ってくださった方たちにも

こころからお礼申し上げます。


未来があります。

わたしにも。メルさんにも。





メルさん、どうかどうか長生きしてね。











      
ニックネーム らぼすたっふ at 16:00| 記念日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

おしらせ



お久しぶりです。

あまりにも予想外且つ突然のことで、

いまだに現実を受け容れられない自分もいますが

メルさんよりも早く らす´ が弊ラボを旅立ってしまいました。

1月末のことでした。

本当に突然すぎて、眠れず食べられない日々を

友人たち、そしてメルさんがなんとか支えてくれ

ここまで綱渡りして来られました。

今やっと現実と向き合い、涙も涸れ果てたわたしにのしかかっているのは

いまだかつてないほどの体調不良です。

張りつめていたものがどどっと一気に身体にきてしまった感じです。

精神的なものだけでなく経済的な側面からの支えもなくしてしまったわけで

メルさんと自分はどうにかして食べていかねばならないので

這ってでも仕事に行って稼ぎ、そして

体を動かすガソリン(←うさ友Sちゃんの言葉)となるエネルギーを補充すべく

野菜やお肉もきちんと食べていますが

激しい頭痛や頭重や浮動感や平衡感覚がない感じが

起きてから寝るまでずっと続いていてとても厄介です。

(病院にも治療院にも通っていますが完全に精神的なものが理由ですから

こればかりは時間が解決してくれると覚悟を決めるしかないかもしれません。)




16年間に亘りわたしを支えてくれ、また、

うち7年近くは自分の食事よりもメルさんの体調を

一番に心配してくれた、自身の一部であった存在の

突然の欠落がもたらすものはとてもとても大きいですね。

わたしは命の半分を失いました。

でも、残った半分の命をまっとうしなくては。

メルさんへの責任もある。ここで折れてはいけない。


一番つらかったとき、寄り添ってくれた友人、そしてメルさんは

わたしの宝であり、恩人(恩兎)であり、文字通りの

パートナーです。

深夜2:00にもかかわらずLINEにつきあってくれたうさ友さんたち、

明日会いたいといえば都合をつけて会ってくれ

胸を貸してくれたうさ友さんたち、

24時間体制で駆けつけるから何でもいつでも言ってね、と

気遣ってくれ本当に24時間体制で

わたしの精神を支えてくれていた旧友夫妻。

時差や海を超えてパワーの源となる言葉をくれた友達たち。

事情を知っているのにわたしがコンタクトを取るまでは

じっと待つことを選択してくれていた友達たち。

わたしはひとりじゃない。

いつまでも哀しんでるわけにはいかない。

わたしには生をまっとうする義務と権利がある。

メルさんへの愛情と責任もある。

そして時間という一番のくすりもある。

今自分に起きていることはすべて必要なことなんだ。



ちょっと前の動画(2月)ですが

長野から日帰りで急いで高速バスに乗って会いに来てくれたYさんからの

お土産りんごを食べるメルさんです。





体調のことや仕事のこと、これからの生活のこと、

いろいろ抱えているので

更新頻度は思いっきり下がりますが

どうか今までメルさんに会いにきてくださっていた方々、

これからもよろしくお願いします。


そして、たいせつなこと。

今あなたのそばにある「当たり前の日常」は

奇跡なんです。きらきら輝いている素晴らしい時間なんです。

だから、たいせつな存在にいつも感謝して。

感謝の言葉を声に出して。

その存在に触れて温もりを感じてください。













        
ニックネーム らぼすたっふ at 07:39| らす (研究員E) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする